2014年2月2日日曜日

舛添要一について3つの罪 その2

たんぽぽ舎のメールマガジンより

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┗■1..舛添要一について 3つの罪 その二「電力会社の広告塔の罪」
 └──── 広瀬 隆

◆舛添要一は、「朝まで生テレビ」のレギュラーであった。それで知名度をあげてきた人間である。
 ある時、「朝まで生テレビ」に出演して、「原発論争」をしてくれるよう、テレビ朝日から私(広瀬隆)に依頼があった。私は何度か、あの喧騒な番組に引っ張り出されていたので、「舛添要一のように、原子力について何も知らない人間が大声でわめくような番組なら出ません。電力会社とまっとうな技術論をして、日本人に事実を知ってもらいたいだけだ」と要求した結果、テレビ朝日がそれを了承して、舛添が出演者から外されたので、私は1988年7月30日放送の「朝まで生テレビ」に出演した。舛添はくやしがっていた。
 ところがその後、1995年の高速増殖炉もんじゅ火災事故など、原発がたびたびの深刻な事故を起こした。そのたびに、テレビ局やラジオ局から私に電話がかかってきて、舛添要一との対談を求められ、私は引き受けた。勿論、舛添要一がゴリゴリの原発推進派、私が反対派として論争し、彼のデタラメを論破してきた。
 あるいはまた、新潟県巻町で東北電力が原発建設を進めて、最後に町長選挙の大決戦がおこなわれた時、私は地元から頼まれて、建設反対を訴えて町内での街頭演説をくり返した。そこに、舛添要一が電力会社の広告塔として巻町に乗りこんで、原発建設の必要性を訴えた。この歴史的な戦いで、巻町の住民は原発「拒否」を決断し、最終的に2003年12月24日に東北電力が建設断念を正式決定して、私たち反対派が勝利した。巻原発は、電源開発基本計画に組み入れられながら、計画が撤回された初めての原発となったのである。
 ことほどさように、原発の広告塔として走り回ってきた舛添が、今回の東京都知事選の記者会見で「私も脱原発です」と言ったので、私は腰が抜けるほど驚いた。福島第一原発事故を引き起こした責任者が、舛添要一なのである。事故についてひと言の反省もなく、人間として、選挙民に対して、よくもこれだけの大嘘をつけるものだ。嘘つきは、真っ平御免だ。この男がしゃべっていることは、全部嘘の公約だ。

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