5月6日、八ヶ岳自然文化園ピクニック広場にて、アースディ原村2012が開催されます。
脱原発すわ連絡会は、2011年6月11日の脱原発100万人アクションを契機に脱原発を目指して、長野県諏訪地域から全国に向けて活動を開始しました。(脱原発=原発を稼動しないと決めること)
2012年4月25日水曜日
2012年4月24日火曜日
富士見町長への公開質問状
富士見のお母さんグループ「こどもの未来を考える会」が町長に公開質問状を提出しました。
富士見町長 小林一彦殿
突然のお願い失礼いたします。
私たちは、「こどもの未来を考える会」という、放射能の問題に関心や不安のあ
る父母達で集まり、勉強会や情報交換などを主に活動している自主グループです。
3・11の震災により起こった原発事故は、人々の日常に多大なる被害を及ぼし
子どもたちの現在も、未来も不安なものにしています。
私達は、この人災から学び、原発に依存しない社会づくりを目指すことが、大人
の責任であると考えています。
4月28日に、「脱原発をめざす首長会議(仮称)」の設立総会がひらかれること
になっており、長野県からは、原村の清水村長、伊那郡中川村の曽我村長が参加の
意向を表明されておられます。
以下質問になります。
・富士見町から町長は参加されないのでしょうか。
・参加されないとしたら、その理由を具体的に教えてください。
・今後、富士見町として子どもたちを放射能汚染の被害から守るために、どのような
対応をお考えですか。
こどもの未来を考える会の案内チラシです。
富士見町長 小林一彦殿
2012年4月
子どもの未来を考える会
代表 妹尾美佐
公開質問状
突然のお願い失礼いたします。
私たちは、「こどもの未来を考える会」という、放射能の問題に関心や不安のあ
る父母達で集まり、勉強会や情報交換などを主に活動している自主グループです。
3・11の震災により起こった原発事故は、人々の日常に多大なる被害を及ぼし
子どもたちの現在も、未来も不安なものにしています。
私達は、この人災から学び、原発に依存しない社会づくりを目指すことが、大人
の責任であると考えています。
4月28日に、「脱原発をめざす首長会議(仮称)」の設立総会がひらかれること
になっており、長野県からは、原村の清水村長、伊那郡中川村の曽我村長が参加の
意向を表明されておられます。
以下質問になります。
・富士見町から町長は参加されないのでしょうか。
・参加されないとしたら、その理由を具体的に教えてください。
・今後、富士見町として子どもたちを放射能汚染の被害から守るために、どのような
対応をお考えですか。
こどもの未来を考える会の案内チラシです。
ラベル:
住民グループの活動
2012年4月23日月曜日
脱原発をめざす首長会議
脱原発をめざす首長らが、「脱原発をめざす首長会議(仮称)」を結成し、4月28日に都内で設立総会を開く。
設立総会は、脱原発を掲げ、電力契約を東電から新規参入の電力会社に切り替えた城南信用金庫本店で行う。
脱原発をめざす首長会議の呼びかけ人
桜井勝延 福島県南相馬市長
根本良一 元福島県矢祭町長
村上達也 東海村長
石井敏雄 千葉県長生村長
保坂展人 東京都世田谷区長
上原公子 元東京都国立市長
加藤憲一 神奈川県小田原市長
笹口孝明 元新潟県港町町
田中勝巳 長野県木曽町長
石井直樹 静岡県下田市長
田村典彦 静岡県吉田町長
三上 元 静岡県湖西市長
鈴木 望 元静岡県磐田市長
鈴木健一 三重県伊勢市長
松本昭夫 鳥取県北栄町長
ラベル:
首長の動き
2012年4月22日日曜日
2012年4月8日日曜日
復興構想会議で梅原猛さんが訴えたこと(最終)
第12回(2011年6月25日)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou12.pdf
★私たちは菅総理から選ばれた、3県の知事を含めて16人の知識人だったと思いますが、私は、知識人と政府の関係は、政府の言うことに「はいはい」と従うような知識人ではいけない。また、日本の戦後のマルクス理論に影響された学者のように、政府の言うことを全く拒否する、これもいけない。よいことを言って、よい案を考えて、そして、政治家に進言するということが知識人の取るべき態度として、私が30年来ずっととってきた態度です。
今回最初に、これは政府の意向と思われますが、原発については論じないでくれという話しが出されましたが、私たちはあえてそれを覆して、原発も論じることにさせていただいた。これは五百旗頭議長が言ったように、大変画期的なことでした。その結果、福島県の例で言えば、新しいエネルギーの研究所をつくるという、想像もできぬような案が生まれたんです。この段には、そういう原発事故を越えて生きていかなければならないという人類の理想が語られているんです。私は大変いいことだと思います。
それから、菅総理が変わったんです。菅総理が浜岡原発の廃止を言い、最近はクリーンエネルギーの推進ということを言う。なぜ変わったかというと、一つの要因はやはり復興会議だと、私は思わざるを得ない。それだけでも復興構想会議は大きなことをしたと思います。
私は、新しいエネルギーは新しい産業になると思います。石炭、石油の時代、原子力時代に対して、第三の産業革命はクリーンエネルギーの時代です。これを日本の企業が競争で効率よくつくって世界に輸出するということになれば、私は日本の経済は見事に復活すると思っています。
クリーンエネルギーといいますと、地熱、水力、火力、風力で、これは「地水火風」なんです。「地水火風」というのは、空海の「四大」思想なんです。それから太陽光、すなわち「空大」を加えると五輪の思想になる。五輪塔というのはやはり空海の思想で、このようにみると、自然エネルギーの問題はエネルギーの問題のみではなく、思想の問題にもなってきている。まさに日本がそういう新しい思想をつくり出し、新しいエネルギーを開拓すべきだと私は思うんです。その意味で、この会議は重要な仕事をしてきたと思います。
ラベル:
梅原猛の思想
2012年4月7日土曜日
復興構想会議で梅原猛さんが訴えたこと(その4)
第10回会議(2011年6月18日)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou12.pdf
★「文明災」という言葉に批判があったのですが、あれは私の言葉なんです。これを入れないのならば私は辞職しようと思うんです。やはり「文明災」なんです。天災であって人災であって「文明災」。世界の先進国は原発を使って生活を豊かにする。それが当然と考える文明の原理なんです。これが大きく問われているのです。それは世界的に広がっていって。ドイツもイタリアも大体フランスでも恐らく脱原発の方向へ進むと思うんですが、それは近代文明に対する考え方が変わるということなんです。
これはどうしても必然な動きでありまして、「文明災」という言葉がマスコミでも使われるようになっていますが、これは全部人災とはいえない。東京電力や政府だけの責任ではないんです。世界の先進国はみな原発を使って自分の生活を豊かにするという文明なんです。それが変わらなければならない。
最近、「共生」という言葉がよく用いられますが、私は近代文明には人間の傲慢、人間の思い上がりというものがあったと考えています。新しい文明は人間と生きとし生けるものの「共生」ということを図らなければならない。その意味で文明が裁かれなければならないという考えなので、やはり「文明災」という言葉を入れていただきたいと思います。
★科学技術云々ではなくて、これまでは自然を征服する科学技術文明、これからは自然と「共生」する科学技術文明にならなければならないというのが私の長い間の信念です。これは湯川秀樹先生や福井謙一先生などもしきりに自然を征服する科学技術から自然と「共生」する科学技術にならなければならないといわれていた。そういう意味で、私は文明が変わらなければならないと考えております。
★「文明災」という言葉がだめなら、さきほど委員がおっしゃったように、これで文明の性格が問われる、そういう大きな震災だったというふうに書いていただいても結構ですが、現実に世界で反原発の動きが強まっている。世界の文明は必然的に変わらなければならない。それと「共生」ということです。「共生」というのは2つの意味があって、人と人との「共生」ということをここで強調されましたが、もう一つは黒川紀章君などが言っていたような、自然との「共生」という意味です。
「共生」という言葉はこの中では両方の意味に使われている。そこのところの意味をはっきりさせて、近代文明は自然を奴隷のように使う文明。それに対してこれからの文明は、人間と自然が「共生」するような文明にならなければならないと私は思っています。これは私の信念なので、私は哲学者として、あえてデカルト哲学を否定するような哲学を書こうと考えています。今まで遠慮していたけど、デカルトであろうが、ニーチェであろうが、ハイデッガーは何者だというような本を書こうと思っています。
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou12.pdf
★「文明災」という言葉に批判があったのですが、あれは私の言葉なんです。これを入れないのならば私は辞職しようと思うんです。やはり「文明災」なんです。天災であって人災であって「文明災」。世界の先進国は原発を使って生活を豊かにする。それが当然と考える文明の原理なんです。これが大きく問われているのです。それは世界的に広がっていって。ドイツもイタリアも大体フランスでも恐らく脱原発の方向へ進むと思うんですが、それは近代文明に対する考え方が変わるということなんです。
これはどうしても必然な動きでありまして、「文明災」という言葉がマスコミでも使われるようになっていますが、これは全部人災とはいえない。東京電力や政府だけの責任ではないんです。世界の先進国はみな原発を使って自分の生活を豊かにするという文明なんです。それが変わらなければならない。
最近、「共生」という言葉がよく用いられますが、私は近代文明には人間の傲慢、人間の思い上がりというものがあったと考えています。新しい文明は人間と生きとし生けるものの「共生」ということを図らなければならない。その意味で文明が裁かれなければならないという考えなので、やはり「文明災」という言葉を入れていただきたいと思います。
★科学技術云々ではなくて、これまでは自然を征服する科学技術文明、これからは自然と「共生」する科学技術文明にならなければならないというのが私の長い間の信念です。これは湯川秀樹先生や福井謙一先生などもしきりに自然を征服する科学技術から自然と「共生」する科学技術にならなければならないといわれていた。そういう意味で、私は文明が変わらなければならないと考えております。
★「文明災」という言葉がだめなら、さきほど委員がおっしゃったように、これで文明の性格が問われる、そういう大きな震災だったというふうに書いていただいても結構ですが、現実に世界で反原発の動きが強まっている。世界の文明は必然的に変わらなければならない。それと「共生」ということです。「共生」というのは2つの意味があって、人と人との「共生」ということをここで強調されましたが、もう一つは黒川紀章君などが言っていたような、自然との「共生」という意味です。
「共生」という言葉はこの中では両方の意味に使われている。そこのところの意味をはっきりさせて、近代文明は自然を奴隷のように使う文明。それに対してこれからの文明は、人間と自然が「共生」するような文明にならなければならないと私は思っています。これは私の信念なので、私は哲学者として、あえてデカルト哲学を否定するような哲学を書こうと考えています。今まで遠慮していたけど、デカルトであろうが、ニーチェであろうが、ハイデッガーは何者だというような本を書こうと思っています。
ラベル:
梅原猛の思想
2012年4月6日金曜日
復興構想会議で梅原猛さんが訴えたこと(その3)
第3回会議(2011年4月30日)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou03.pdf
★近代の文明は人間中心の文明。それを自然中心の太陽崇拝の文明に戻さないとだめだというのが私の根本的な考え方です。
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou03.pdf
★近代の文明は人間中心の文明。それを自然中心の太陽崇拝の文明に戻さないとだめだというのが私の根本的な考え方です。
第7回会議(2011年5月29日)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou07.pdf
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou07.pdf
★私の母の里は石巻の漁民でして、今度の震災に特別深い悲しみを覚えるんですが、やはり日本の文化の原型は縄文文化です。縄文文化は、人類の最も古い文化である狩猟採集あるいは漁労採集文化の一つですが、この文化が周囲を海に囲まれた日本で特別に発展した。その文化的産物が岡本太郎の絶賛した縄文土器です。そして弥生時代に稲作農業が移入して、日本という国家ができました。縄文文化を創造した漁民の人口が今や日本の全人口の0.3%ということですが、日本文化の基層である縄文文化を大切にしなければならないと思います。
ラベル:
梅原猛の思想
2012年4月5日木曜日
復興構想会議で梅原猛さんが訴えたこと(その2)
第2回会議(2011年4月23日)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou02.pdf
★私は東北の文化というのは要は縄文文化である。これは森の文化であり、海の文化です。そしてすべての生き物と共存する文化です。
こういう縄文文化が1200くらいつくられた。そして、それ以後に弥生文化、農業文化が続いたんですが、そういう日本の基底文化、これは大変すばらしい芸術を生んだ文化で、岡本太郎の縄文土器はほとんど東北です。それでやっぱり東北は詩の国だ。芸術の国だ。だから太宰治も宮沢賢治も石川啄木も全部東北で、そしてすばらしい民俗芸能がある。こういう東北文化を守らなければならない。そして、これからの日本の文化の形の中に、そういう森の文化、海の文化を取り入れる。それは大変大事なことで、東北の文化を皆さんで得たので、それは私の大きな仕事の一つなのでお願いします。
★やはり原発を論じないというのはありえないというふうに、やはり原発を論じなくてはならないんではないかと。特に日本の将来のあり方として、やはり原発抜きの議論はあり得えないということを、私は申しましたら、菅さんも結構でございますと、大いに議論してくださいという言葉をいただいたんです。
<中略>
やはりこれは文明の根本転換、これを出さないと、私は世界に通じないと思います。
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou02.pdf
★私は東北の文化というのは要は縄文文化である。これは森の文化であり、海の文化です。そしてすべての生き物と共存する文化です。
こういう縄文文化が1200くらいつくられた。そして、それ以後に弥生文化、農業文化が続いたんですが、そういう日本の基底文化、これは大変すばらしい芸術を生んだ文化で、岡本太郎の縄文土器はほとんど東北です。それでやっぱり東北は詩の国だ。芸術の国だ。だから太宰治も宮沢賢治も石川啄木も全部東北で、そしてすばらしい民俗芸能がある。こういう東北文化を守らなければならない。そして、これからの日本の文化の形の中に、そういう森の文化、海の文化を取り入れる。それは大変大事なことで、東北の文化を皆さんで得たので、それは私の大きな仕事の一つなのでお願いします。
★やはり原発を論じないというのはありえないというふうに、やはり原発を論じなくてはならないんではないかと。特に日本の将来のあり方として、やはり原発抜きの議論はあり得えないということを、私は申しましたら、菅さんも結構でございますと、大いに議論してくださいという言葉をいただいたんです。
<中略>
やはりこれは文明の根本転換、これを出さないと、私は世界に通じないと思います。
ラベル:
梅原猛の思想
2012年4月4日水曜日
復興構想会議で梅原猛さんが訴えたこと(その1)
2011年4月、当時首相だった菅直人さんは、東日本大震災復興構想会議を設置し、特別顧問(名誉議長)として梅原猛さんを任命しました。その会議の中で梅原さんが発した言葉を紹介します。
第1回会議(2011年4月14日)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou01.pdf
【挨拶】
<前略>
私は、京都学派の一人として、京都人と思っている方も多いと思いますが、実は仙台市の生まれで、そして、魚民の血を引いております。今回の震災で特に漁民が大きな痛手を受けたことに、私は涙が出る思いでございます。そして、私はずっと哲学をしていますから、西洋の近代文明が行き詰っていて、そして、日本の思想の中に今後の人類の文明の原理になる思想があるのではないかということをずっと考え続けてきまして、大体その方向性が見えてきていたんです。それを数年かけて哲学にしようと思っていた矢先、今回の震災が起こりました。このような自然の怒りという問題が、私の哲学にはなかった。このような意味で二重にショックを受けました。日本を復興しなければならない。そして、それは単なる復興ではなくして、新しい日本の建設でなければならないと考え続けていたときに、総理から依頼を受け、即座にお引き受けした次第でございます。
<中略>
この災害は天災であります。同時に人災の面もあります。けれども、そればかりではなく、私は文明災の面もあると思います。文明が災害に遭った。原発を使って、人間の生活を豊かにし、便利にする。そういう文明がまさに災害に遭った。今、文明が裁かれていると思います。この文明の裁きに対してどういう答えを出すか。エネルギーの問題、恐らく太陽光や風力などのエネルギーの問題の開拓と同時に、人間の文明が変わらなければならない。本当に利他的な文明に変わらなくてはならない。聖徳太子の「和」の文明、利他の文明に変わらなければならない。今、被災者たちが本当に過酷な状況にありますが、多くの人が助け合っている。自分の命を犠牲にして、人を助けた人。私などには及びもつかない立派な人がたくさんおられる。そのような精神が、新しい文明の精神にならなければならないと思っているのです。
【会議での発言】
★今、佐藤知事がおっしゃった、原発がある社会なのか、脱原発の社会なのか。それを抜きにこの会議は成り立たない。私はやはりそれは直接ではなくても、やはり触れなくてはならないと思います。どうでしょうか。
★私は今回の特別顧問就任の依頼を引き受けたときには原発の問題を議論しないという話はまったくありませんでした。原発の問題を議論しないというのなら、この会議の意味はない。だから赤坂さん、内館さん、玄侑さんからの、原発の被害者を考えないような復興構想会議は意味がないのではないかというご意見には私も賛成です。この原発事故の被害はまだ広がるかもしれない。あるいは海の魚が食えなくなる。日本人が海の魚が食えなくなったら日本人はおしまいです。地震と津波の被害なら、容易ではないけれども、まだ復興はできるんです。つまり原発事故の被害が加わって復興は物すごく難しくなる。この原発の問題を抜きにしては、復興構想会議は成り立たないと思うんです。
★ここで議論するんです。そして両方議論して結論を出す。やはり原発の問題を議論しなかったら、この会議は意味ないと思っているんです。
★原発の被害のこともしっかり考えなければいけない。
★私は、デカルト以来の近代主義が問われているのではないかと考えています。今おっしゃったように、近代の哲学の原理、文明の原理というのは、人間に対立するものは自然であり、自然科学が発展して技術が進歩すれば、自然は奴隷のごとく利用できるという考え方なんです。この考え方そのものが今、問われているんです。そしてまた原発というのは反自然のものをつくり出し、それは安全ですというのが我々の神話だった。これまで私もそれを信じていたんですが、今回のことでそのような神話は信じられなくなった。原発は必要欠くべからざるかどうかという議論がなければ、この会議はむなしいものになるのではないかと思います。
ラベル:
梅原猛の思想
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