2013年10月7日月曜日

元双葉町長 井戸川克隆さんの文章

元福島県双葉町長の井戸川克隆さんのがDAYS JAPAN 2013.9月号へ寄稿した文章です。

祖国の荒廃と難民の嘆き

 基本的なことが忘れられている。いや、考えが及ばないようにされているが実情だ。情報操作は東電の広報部が長年手掛けてきた。何を頼んでも可能にしてきた。行政をも動かしてきた。議会、市民集会も動かしてきた。このような姿を知らない住民はいない。原発に頼ることを余儀なくされてきた町の悲劇だ。
 娘の結婚相手は、1に東電社員で、2に役場職員といわれていた。年収から言われていたのかもしれない。現実的な考えだ。生計を考えると当然のである。このことは地域の活動でも優先順位を生み出していた。これは命との取引だったということが、事故が起きた今、解ったのである。
 数千年続いてきたこの土地の寿命は原発が建ってからたった40数年で閉じられようとしている。中間貯蔵施設は一説では国有地にして、ハイエナ企業が300年管理して国へ返すという。30年で廃炉を完了すると無責任な計画を語る者もいるが果たしてどうだろうか?汚染水の処理も出来ないで廃炉計画を語ることはあり得ない。
 にわかづくりのタンクに穴があく速度は想定し得る。まもなく恐ろしい光景を見ることになるだろう。世界中にふたつと無い光景を見ても恐ろしいと思わない双葉郡の首長が多いことに、恐怖と驚きを感じてはいけないのだろうか。私は今、更に遠くに避難先を考えている。まさにこの「実測放射能汚染マップ」が危険な事実を証明している。
 人類は放射能とは闘ってはいけない。一般の人は離れる以外に方法はない。除洗する前に避難をさせなければならなかった。福島県の判断は間違いだった。この責任は重大で賠償問題に発展するだろう。人命軽視や子供虐待は犯罪である。放射能のあるところに住まわされている国民と、無いところに住んでいる国民は平等とは言えない。ニコニコ笑っていることを勧めた者は、重大な人権の侵害をしてしまった。発症するかしないかの議論にすげ替えたことが間違っている。放射能が有るか無いかの議論をすべきだ。「有る」ことが」悪い」のである。原発が無ければ、人口放射能は自然界には存在しないはずなのだ。
 電力会社に地球を汚す権利はない。東京電力は、地上や海に放射能を放出しておきながら、隠蔽の限りをつくし、当然の帰結のような振る舞いをしている。これは人類の共有する空間と海域を汚染した公害事件だ。裁判では「無主物(所有者のないもの)」という詭弁がまかり通った。裁判所は地球を汚した東電に無罪という判断をした。過去の公害事件も「無主物」の判断があれば無罪になってしまう。私にはとうてい理解できない。
 住んでいた町を住めなくされても事件にされないということは、原発事故は合法的な事故ということなのだろう。憲法を守らないことが正義で、事故で国民が死ぬことも正義とされている。日本は狂ってしまった。これが解らない政治家と公務員がいるこの国は恐ろしい限りである。




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